日本における「おさげ髪」の歴史
(聞いた話や想像を元にしているので、資料的価値はありません)
縄文・弥生時代
2003年10月、長野県伊那市山寺高尾町の「今泉遺跡(いねずみいせき)」で
「髪を左右に分け、三つ編みにした土偶」が発掘される。
縄文時代中期のものとされ、日本に置ける三つ編みの記録では最古のものだろう。
魏志倭人伝にはすでに「倭人の女子は髪を束ねている」との記述がみられる。
古墳・大和時代
埴輪には束髪が見られる(ただし男性と考えられている)。
聖徳太子等の肖像画に若い男性が束髪にしている様子が見られる。
平安時代〜安土桃山時代
「おさげ」は「お下げ」と書き、本来は「下げ髪」の丁寧な言い方(あるいは上方での言葉)であった。
「下げ髪」とは垂れ髪(垂髪)の別名のようで、髪を束ねて後ろに下げたものである。
・・・今でいう「おすべらかし」みたいな物が想像できる。
日本古来の髪型の名称は「さげ」とか「まげ」とか語感から想像できるものが多い。
たいていは絵で見る限り一本なのであるが、
本数や結ぶ位置などはあまり関係なく「下げ髪」と呼んだようだ。
実は二本(二筋垂髪)の例もあるようで、現在調査中である。
子供を背負った時に、髪が子供にかからないようにする知恵から生まれたとする話も聞いた事がある。
とすれば、やはり正式(?)な髪型ではなく、庶民独自のものであろう。
江戸時代
特権階級、庶民とも髷が普及。
垂れ髪は特殊な職業(巫女等)か女子のものとなっていたようだ。
明治〜昭和時代

明治から大正はじめの女学生のスタイル
(お菓子の中のしおりより)
この時代にはまだ「おさげ」は現れない。

もう少し年齢の低い少女の場合も、
最初の頃は似たスタイルだったようだ。
二つに分ける「おさげ」は、明治に入ってから本格的に行われるようになったと思われる。
子供の髪型として西洋から入ってきたものだが、
日本古来の「おさげ」に似ているところからこう呼ばれたのだろう。
これにより「下げ髪」と「おさげ」の意味は次第に違ってくる。
大人に比べて洋髪の普及は早かったのではないだろうか?
ちなみに英語の「tail」には「おさげ」の意味があり、こちらも本数には関係ないようだ。
編みおさげはいつごろ入ってきたのだろう。これはまだよくわからない。
明治18年頃に渡辺鼎氏が考案した婦人用の洋髪に、三つ編みを用いたものが見られる。
女学生向けの「マーガレット(まがれいと)」という髪型は、垂らした三つ編みを輪にした形をしていた。
また一本の三つ編みも存在し「イギリス結び」と呼ばれていたようである。
大正の始め、静岡県にできた家政学校の資料が手元にあるのだが、
生徒は着物にもかかわらず、このころすでに三つ編み(一本)の生徒が多く見られる。
ネット上で他の学校の写真も見たが、大正以前の写真には三つ編みの女学生は見あたらない。
また大正に入ってからの写真でも庇髪など独特な髪型がみられる。
実際に広く普及するのは大正時代中頃、制服が洋装になってからであろう。
つまりそれまでの「海老茶の袴」であれば髷のような髪でも似合うのだが、洋装には似合わない。
当時は(いや、最近まで)学校教育でも形を重んじていたので、考えられる話だ。
大正時代中頃に現れたセーラー服(名古屋が起源とか、いや福岡だとか言われる)は、
大正の終わりには「海老茶の袴」にとってかわってしまう。
このころ「三つ編みおさげ」は普及したのではないだろうか?
また、髪を短くする女学生も現れてきたのではないだろうか?
なぜ二本が主流になったのかは今のところ判らない。
「三つ編みおさげ」の校則の始まりは私立の家政学校とも思われるのだが、
そこまで断定する資料は私には発見できていない。
少女画や当時の女優の影響かもしれないと思い調べたが、どうもはっきりしない。
ただ、「まだおさげが新しかった時代」には、
その普及に学校教育が絡んでいるという事ぐらいは言えるだろう。
一方「おさげ」があこがれだった時代なのかもしれない。
昭和10年(1935年)頃の映画では女学生のおさげは一般的になっていた。
昭和時代(戦後〜昭和末期)
戦後、「ポニーテール」という言葉がアメリカから入ってきて定着する。
この事で「おさげ」の意味する範囲が狭まったのかもしれない。
日本では「ポニーテール」はかなり高い位置で結んでいる場合を指しているようだ。
が、どこからが「ポニーテール」か? という資料は今の所見つからない。
戦後の学校ではロングヘアーが認められたり、ショートヘアーが増えたりして、
「おさげ」は次第に少なくなっていった。
まだ1970年代は結構見られたが1980年ごろにはかなり減っていた。
単に二つに分けて結んでいる子は結構いたのだけれど、編んでいる子は少なくなった。
また、学校では「おさげ」にしている子でも、家ではほどいている事も多くなったようだ。
余談だが、1980年代というと、私には1970年代に普通だった物を切り捨てる時代のようにも思える。
町のギター弾き語りが一時姿を消してライブハウスのロックバンドに。
「ステレオ」(家具調のような大型コンポ)はラジカセあるいはウォークマンに。
鉄道を使った一人旅はマニアの物になり自家用車とペンションに。
もしかしたら「おさげ」も古い時代の物として、若者雑誌から切り捨てられたのかも知れない。
私の中学時代(’82〜’85)には一時期校則が厳しくなり、
「肩より長い場合は編むか結ぶ」、色ゴムは黒・紺・茶のみとなったりしたが、
ほとんどの女生徒は面倒くさがってショートヘアーだった。
全員三つ編みという学校はこの時点で大変珍しく、見かけると大騒ぎになったようだ。
ただ女学生を表す「記号」としての「おさげ」はこの頃も継続している。
1980年代に大ヒットしたコミック「Dr.スランプ」でも、三つ編みのおさげの女学生が度々登場する。
しかもリボンまでしている。あまりにもステレオタイプだった。
役名もないような脇役なのだが、この時代だったからか妙に印象に残る。
平成以降
最近はどうだろうか? 校則はあってないようなものではないのかと思う事がある。
どうもこれには海外からの留学生の問題も、からんでいるようだ。
無理に染めて髪を痛める事もないと思うんだがなあ・・・
それでも毎日三つ編みにして学校に通う子もいる・・・おもしろい世の中だ。
そしてもう一つ、昔では考えられないが、三つ編みのおさげにしている大人が時々いる。
髪を切りに行けない理由がある訳でもなさそうな人が。これも何か新しい物を感じる。
またとても細い三つ編みや、ちょっとだけの小さなおさげにしている子も出てきた。
2000年前後からだろうか? これはやはりファッションとしてのおさげなのだろうか?
さらには、「分け目」からいきなり編まず、斜めにいくつも段付きにしたり、分け目そのものを作らずに、
一つにまとめてから三つ編み二本にするなどのバリエーションも存在するようだ。
ひまわりさんより情報頂きました。
セーラー服の起源について福岡だと書いてありましたので、詳しいことを書きますと、福岡女学院という明治に創立された学校がセーラー服の発祥の地だそうです。本当らしいです。紺で襟が赤いセーラー服です。アメリカ人の創立者の方がアメリカの子供の普段着を改良したそうです。
