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おさげ髪雑論          


まだイラストをつけていない文章を出して行くという方針でしたが、
結局は管理人の妄言集となっております。
文章の投稿については各コーナー(?)で行っていますのでそちらへ。
このコーナーに対してのご意見やご感想はメールにてお願いいたします。
いろいろおよせ下さい(あまりエロエロなのはだめよ)。秘密は厳守します。

その88(2004.3.25)

ちょっと前にピーターの子供の頃の話をテレビでやっていた。
ピーターというとなんかあっち系のイメージを勝手に持ってしまっていたが、やっぱり女の子の方が好きなようだ。
経験から言わせてもらうと、「いかにも男らしい」人の方がやばいというのはあるんだけど。
で、ピーターが子供の頃三つ編みの女の子に声を掛けられて、好きだったというエピソードもやっていた。
きっちり太めの三つ編みだったので好感持てた(爆)、いやこんな子いたよ、この声も、こういう演出は大好きだ。

その87(2004.3.1)

なんかまた日付がおかしかったようだけれど、直して置いた。
さて「やずや」のCMだ。
又雪待にんにく卵黄の新たなバージョンが放送されている。
前回は制服の女の子が降りてきたバージョンだったが、今度は家で(私服)料理を作っている。
当然おさげで三つ編みである。
その家は本当に田舎のいかにも一家団らんとしていそうな雰囲気がよく出ている。
で、この子の名前はなんて言うのかな?
以前色々調べている時に、「可愛いと思うけれど顔が暗い」という意見があった。
しかし、このCMのシチュエーションを考えてみよう、明るい顔では似合わないと思う。
それに「暗い」ではなく「幸薄い(さちうすい)」っていうんだよ、そういう時の表現は。
高校まで出て、地元のスーパーの(コンビニは似合わない)レジ係で働くような感じだろうか?
そのスーパーも照明はなんとなく暗く、大きな町にある店よりも規模はずっと小さい。
毎日地道に、一生懸命働く彼女、そんな彼女に会いたさに毎日スーパーに寄る青年がいる。
しかしこちらも口数が少なく、声をかけるまでいかない。
だめだ、長くなる(爆)

その86(2004.2.28)

またもやキャラクターについて、まだ「論」にもなっていない事だけれど。
静岡県菊川町に「ちゃこちゃん」というキャラクターがある。
「あずみ」の小山ゆうさんがデザインされている。
しかし、キャラクターとしてどうなんだろうと思わないでもない。
だって、いわゆる「アニメ絵」ではなくて、「あずみ」のようにちょっと劇画調だし。
これには多分地元の意向もあったんだろうけれど、キャラクターの場合、「アニメ絵」の方が浸透するんじゃないかと思う。
子供も真似しやすいし。
「キャラクターといえばアニメ調」への挑戦かもしれない。
でもこの「挑戦」、どうなるか楽しみである。

その85(2004.2.19)

早く次に行きたいので関係ないことばかり書いているのだが。
(絵に関する話はいいとして、マイナー文化については全く私の好みによる)
この間二日続けて受験があった。
二次試験とかいうらしい。
私の頃はこういうシステムが無くて、色々うらみつらみがあったものだ。
(充実した学校生活を送っていたならそもそもこんなHPやらない)
また田舎から生徒さん達がやってきていた。
黄色と緑という派手な腕章、校章の入ったバッグ、安全ピンで留めた名札など、「こうすれば田舎が表現できる」のオンパレードだった。
さすがにジャージ姿やヘルメットの子はいなかった。
お下げの子は結構いる。でも編んでいる子は細編みばっかりだ。
小学6年生かなんかを立ち読み、「おさげ」はステレオタイプのイラスト以上の取り扱われ方をしていない。
まあいいか、もともと期待してないし。
かつて三つ編みの子が多かった理由に、「今ほど頻繁に美容院等にいけなかったからではないか」というのを思いついたが、実は前にも言っていたかも知れない。
まあいいか、ボケだし。

その84(2004.2.19)

以前SM○Pの曲が心の支えになっていた事があった。
「君は君だよ」とかいう曲で、誰かの思うように生きなくて良い、誰も代わりなんかできやしないんだからという歌詞で、自分はこんな風に生きていていいんだろうかと思ったときに、結構(勘違いにしても)救われた部分が大きかった。
そもそも彼らだって自分の思うように生きていない部分があるだろう。
そう考えると余計好きになる曲だった。
言いたくはないがカラオケでも随分歌った。
でも、そろそろほとぼりがさめたから言うけど、競争の激しい芸能界で売り上げにしても(主に女性の)人気にしても「ナンバーワン」のやつらに「ナンバーワンなんかじゃなくてもいい」って言われるのはあまり気持ち良い物ではない。
マラソンをやっていて一位の人が「ナンバーワンじゃなくていいんです」とは言わないだろう。
特に負け犬に対して(爆)。
まあ彼らも仕事でやっているんだから仕方ないか。

その83(2004.2.19)

ロックの基本理念(?)は、「大人は判ってくれない」であると何人かの人から聞いている。
でもその人達はもう立派な大人である。
「判ってもらうためにやっていた」のが「いつの間にか対象と同じ存在になっていた」という事なのか?
未だ「判ってくれない」人は多いだろうが、確実に世論は変えることができたのではないかと私は思う。
しかし、それが「文化の死」なんだろうか? 「判ってくれない」人がいる以上、また元に戻らないようにするためにも「活動」は続けるべきではないだろうか?
「攻撃は最大の防御」というが、攻撃を終了すると同時に防御も終了してしまうのはいかがなものだろうか?
ここでいう「防御」は当然「保身」ではない。
文化の死というのは、「活動をやめてしまう事」だと思う。
だから基本的には勘違いでもなんでも、活動は止めるべきではない。
関係の無い人に迷惑をかけない範囲内で、色々やってみるべきだ。
もう一つ、「メジャー(メディア)に取り込まれる」のも「文化の死」かもしれない。
ある意味「認められた」事なのだから・・・そういえば「紅白」や「武道館」を目標にしている歌手が、それを過ぎるとつまらなくなる現象って結構ある気がする。
(もっと言うなら「見ている方が覚めてしまう」とかね)
それは例えば「東大合格」(って結構権威ある言葉だったね)のように、本来通過点にしなければならないモノを「最終目標」にしてしまった事によるミスだと思う。
東大でなくて灯台を目標にしてそのまま突っ込んでしまった船みたいに。
しかし、メジャー(メディア)に取り込まれると、自分本来の動きができなくなるのも事実らしい。
ブラックホールに近づいた宇宙船のようなものか?
どっちにしても自分を見失わない事だ、そして耐えること。
いつか道は開けると信じたい。

その82(2004.2.15)

1980年代というと、個性の時代の始まりのように思われている部分もあるが、それは全く見当違いである。
この時代に流行ったのは「ナウい」と「ダサい」、「ネアカ」と「ネクラ」、「マル金」と「マルビ」と言った二元論であった。
1970年代までの一人で行うフォークソングは「ダサい」と否定され、何人かで行うロックバンドが隆盛を誇った。
こういった二元論の定義付けはマスメディアによるもので、一般大衆は単にそれに従っていただけだった。
「良いモノ」「悪いモノ」は「商業的に儲かるかどうか」によって決められた。
アコースティックギター一本あればできるフォークと、高価な楽器がいくつも必要なロックバンドの違いを考えて欲しい。
また「恋人同士で見に行かなければならないラブストーリー」の方が「一人で見に行けるマニアックな映画」よりずっと儲かるのだ。
もちろん素人レベルで「個性的な人間」は存在していたが、それはまだまわりから白い目で見られる存在であった。
マスメディアにとっても、また地域社会にとっても、「とらえどころのない存在」は「厄介者」だったのだ。
しかしこの、「白い目で見られた」けれどそれをやめなかった事で、彼らは強くなっていった。
この頃は雑誌の投稿欄や深夜放送のラジオぐらいしか、「個性」を発揮する機会はなかったのだが。
これが現代のウェブページ上などに見られるパーソナルなメディアの隆盛に繋がるのだけれど、実際問題、それだけではない気がする。
ズバリ、「マスメディアの発信する情報が前よりつまらなくなった」のではないだろうか?
だからこそ、「じゃ、面白いことをやってみよう」と多くの個性的な個人(思いこみ含む)が立ち上がった気がしてならない。
先日「笑っていいとも!」を見たが、各コーナーとも「前にどこかで見た」モノばかりで、どうにも面白くなかった。
そりゃ「個人がお金をもらえないのにやっている」メディアの方が面白いに決まっている。
でもプロの作っている番組があれじゃなあ・・と思ったのも事実である。

その81(2004.2.15)

先日秋葉原に実際に行ってみた。
いや、時々行ってはいるのだけれど。
まあ確かにすごい変貌を遂げている。
で、思ったのだが、いわゆる「アニメ絵」は多くの絵柄の中から選択されたモノではなくて、この種の絵を描いている世代にとっては、「イラストといえばこういう絵柄しかなかった」のではないか。
という事だ。
確かに『鉄腕アトム』に熱中したり、「いい歳をして」、『宇宙戦艦ヤマト』や『アルプスの少女ハイジ』を見た世代なら「色々な絵柄の中からアニメ絵を選んだ」とも言えるだろう。
しかし、私のような田舎の昭和40年代生まれにとって、少年誌と言えばマンガ雑誌だったし、いわゆる学年誌もかなりのページがマンガで埋まっていた。
(他にもあったのかもしれないが、流通していなかったので選択のしようがなかった)
そのほとんどが手塚治虫の影響を受けたアニメ絵であった。
少年誌ではアニメ作品のイラストを絵本調に表現したものも見られたが、やっぱり違和感があった。
劇画調で始まったマンガ(たとえば「750ライダー」等)も「アニメ絵」のようになっていったし、かたくなに絵柄変えないのはそれこそ水木しげるぐらいしか思いあたらなかった。
(あくまでここでは「少年」が見る機会のある雑誌の事を言っているので、もう少し高い年齢に向けた書かれた「ゴルゴ13」等の劇画は除いている)
「アニメ絵」で描かれた雑誌は最初は(比較的)低年齢向けのだが、それを卒業する頃には、高年齢向けの雑誌も「アニメ絵」に変わっていたという印象がある。
そして「中一コース」「中一時代」あたりの学年誌でも、放送されるアニメの情報は重要な位置を占めていた。
(それがいわゆる「商売」と深く関わっている事は言うまでもないだろうが、その当時は「プレイボーイ」等では「いい歳をしてアニメやマンガを見る風潮」に批判的だった時代である)
だから(それを見ていて)絵を描こうと思った若者も、自然に「アニメ絵」を描くようになったのではないだろうか?
もう一つ、パソコンのゲームに関しては、その始まりからして細かい絵柄を画面に表示などできず(今の若い人は知らないだろうな)、どうしても「アニメ絵」にするしかなかった事情があるようだ。
素人にしてみても初期のパソコンの(「コンピュータの」ではなく)グラフィック機能を考えてみると、スキャナは買えるほど安くなかったので写真を取り込んで加工は論外として、「画面に直接線を書いて、囲んだ中をべた塗り」ぐらいしかできなかった。
(後は「スペースインベーダー」のごときドット絵になるだろう)
そこで「パソコンで絵を描く」といえば「アニメ絵を描く」と同じ事だったのだ。
秋葉原にあふれているイラストが「アニメ絵」を採用している理由には、この二つ、すなわち「イラストと言えば子供の頃からアニメ絵が一般的」という流れと「初期のパソコンで表現できたのはアニメ絵だけだったので」という流れがあるからではなかろうか。
これは、インターネットのウェブページについても言える。
特に初期については(そしておそらく「パソコン通信の世界」では)、「イラストと言えばアニメ調」が主流であった。
それが、イメージスキャナの低価格化、デジタルカメラの普及、グラフィックソフトの高機能化、そして何よりパソコン(およびそれによるゲーム)に特に興味を持っていなかった人の介入により、ウェブページにあるイラストにも色々なタイプが見られるようになってきた。
私自身、こういった条件(少し前に流行った言葉で「インフラ」)が揃わなければここを始めなかったであろう。
もしかしたら「IT産業の核となる高層ビル」の登場した後の秋葉原は、インターネットの世界と同様、様々なイラストの溢れる世界になるかもしれない。
せめぎあい、お互い影響し合って、文化というモノはどこでも変貌していくものだ。

その80(2004.2.8)

最近特にそうなのであるが、どうしても気になっている事がある。
ズバリ、「3DCGはリアルと言えるのか?」である。
例えば「写真」はリアルである。
実物のある瞬間を写し取ったのであるから、基本的には「リアル」である。
であるから、例えば「心霊写真」は「本当に霊が居る」と怖がられたりする。
(もちろん意図的あるいは偶然にリアルで無くなった写真もあるが・・)
そして「写実的な絵画」(特に油絵)も「リアル」である。
写真が発明されるまでは「肖像画」などはそれと同等の役割を担っていたし、そもそも写真機の原型である「カメラ・オブスキュラ」は写実的な絵を描く為の道具である。
また写真が発明されると、その写真の陰影を見て油絵を描く画家も居たという。
それから・・・「3DCG」である。
データを入力し、そこにあたかも3次元の物体が存在しているように見せてくれる。
失われた古代の建造物や動植物、また実際には存在しないはずのモノまで自由自在に表現できてしまう。
しかし、10年ほど前ならいざ知らず、今では映画を見て「あ、CG使ってる」とバレバレになってしまったのもまた事実である。その「見分けが付く」事は果たして「リアル」と言えるのだろうか?
いや、建物やメカ、恐竜やモンスターなどならまだ「リアル」と言えるかもしれない。
技術的にまだ発展途上にあると言えるだろうし、「より本物らしく」する技術も進んでいくだろう。
(それでも私にはコンピュータが作り上げた画像より、精巧にできた実在するミニチュアの方が数段「リアル」に感じてしまう)
「3DCG」がまだリアルに表現出来ないモノ、それは「人間」であろう。
「トゥーム・レイダー」(ここでは映画の方ではなくて、その前にできたゲームの方)の画像を考えてみよう。
はっきり言って「気持ち悪い」。なんか硬そうだし。
最初見たとき、なぜ毛唐の連中はこんなモノに夢中になるのかと思った位だ。
しかもそれは「モナリザ」や「麗子像」、ルノアールの作品群のような「心地よいグロテスク」ではない。
(なんか乱暴に一緒くたにしてしまったけれど・・・)
思いっきりお前の主観だと言いたいヤツは言えばいい、でも私の言いたいことが判る人間も居るはずだ。
そもそも人間の姿の構造はデータでなんとか出きるモノではないと思う。
データを単純に入力して作った均一なカーブを持っている訳ではないし。
だからそれを写し取った「写真」は「リアル」だし、人間の(他のモノに対してもそうだが)「データではない部分」も感じることのできる画家の描いた絵は「リアル」なのだ。
どんなにアメリカ人が偉くても、「3DCG」の表現がそこまで行き着くのはまだまだ先であろう。
そう、まだまだ日本の技術陣が連中に勝つ余地は残されているのだ。

その79(2004.1.30)

最近私立高校の受験があった。
いつものことだが、うちの方よりさらに田舎の中学生(主に伊豆方面)が大挙おしかけた。
こんな制服あったんだろうか〜という感じのバリエーション、しかしいかにも中学生という感じで反射材とかつけていたりする。
その中で以外に思ったのがおさげ率の高さである。
編んでいる子はいない。
しかし駅に行くまでに20人ぐらい見かけてしまった。
なにか理由とかあるのだろうか・・・
「趣都の誕生」(森川嘉一郎 幻冬社)という本を買う。
一部で評判の悪い、最近の秋葉原について書かれているのだが、好意的な部分が多い。
1980年代中盤、私が「おたく」という言葉を最初に聞いたとき、その意味は「趣味人の中でもアニメ嗜好の人」という意味だった。
だから当然「主軸」であるアニメを(いい歳して)視聴する事が「おたく」の第一条件だった。
今ではその意味は拡散し、その実体は掴みきれないのであるが、この本では「アニメ・コンピュータ・ゲーム等を嗜好する趣味の構造」の人をそう言うようにしているようだ。
実はこの本の中で(戦前の)中原淳一の絵について、目は西洋文化の影響でぱっちりとつぶらな瞳になったとされているが、戦後の彼の絵については触れられていない。
まさにその後に述べられている「手塚治虫」のごとく、「アニメ絵」のような少女を彼は描いているのである。
これは「ミッシングリンク」として繋げられるのか、あるいは中原淳一が手塚治虫の影響を受けたのか、そういう部分に触れて欲しかった。
(少女画の変遷はこの本の重要なテーマの一つだろう)
もう一つ、これは意図的に書かなかったのかもしれないが、コンピュータ登場以前の「素人が作るメディア」について触れられていない。
インディーズレーベルについては少し触れられているが、あくまでもプロになる前のステップとしてである。
「同人誌」以前のミニコミであるとか、「ゆず」以前の弾き語りシンガーであるとか、ジャズ喫茶の流れを引きずったようなライブハウスであるとか、昔「ガロ系」などと呼ばれたマンガ群であるとか、そういうものについても触れないと、やはりマイナー文化を嗜好する身(なのか?)としては物足りない。
(乱暴なたとえだが「おたく」が手塚治虫の影響を受けているなら、こちらは「水木しげる」だろう)
そういったモノと「おたく的」なマイナーなモノと「おしゃれ好き」のサブカルチャーはどう違うのか?
「反メジャー(メディア)」であることは共通しているので、並べてみれば面白かっただろう。
でも面白い本だ。

その78(2004.1.15)

「こうず」で売り上げを着実に伸ばしているという「やずや」のCMに、三つ編みのおさげの子が出ているという。
先ほどちょっと見たが、商品は「にんにく」であり、女の子の出ているカット数はそう多くない。
考えてみたら今日は旧成人の日であった。
ちなみに私は成人式に出るような真面目なヤツではなかった。
最近一部で荒れているというが、そういう場に出てくると言うことは、まだまだ社会性がある証拠である。
なんか並ばされて「ありがたい」お説教聞かされて、記念品もらって帰るなんてのは、学校でさんざんやってきた事だし、何を今更という感じだった。
他にやること一杯あるだろうが。
あと、当時としては好きだった子の厚化粧は見たくないというのも確実にあった。
そういや最近の20代、厚いヤツは厚い、してないヤツはしてないとはっきりしているようで、横並び意識が崩壊したようでおじさんは嬉しいぞ。
確かに厚化粧の方が目立ってしまうけどな。
「何を今更」といえば「新撰組」である。
最近「新撰組」の本がやたら売っていると思ったら、そういうことだったのか?
私の認識としては新撰組はえらい勘違い集団だったと思っている。
で、なんかこの間やっていた番宣の番組では、「自分の正しいと思った事を生きた人達」として「若者」はとらえているらしい。
つうか、君たち、「自分の正しいと思ったこと」を生きていないのか?
この番組に出ていたような連中が大多数じゃないと信じたいけどな。
ちなみに私はたまに「先祖は新撰組の生き残った人ですか?」と言われるが、全く関係ない。

その77(2003.12.9)

「おさげ髪」という個人誌をやっていた事があった。
年3回ぐらい出していたんじゃないかと思う。
タイトルを変えながら色々やった。
まだ20代はじめでパワーがあった頃である。
(実を言うと単に知り合い向けというのなら19の頃にやったのが最初だ)
まあへたくそな絵と適当な文章を書いた、「週刊のび太」的なコピー誌であったことは前にも書いた。
実際20人ぐらいの人に読んでいただいた。
(5人ぐらいだった号もある)
しかも評価は色々ながら、悪いという意見は無かった。
今考えると、本当に「悪い」と思ったら感想すら書かないような気もするが、これが妙な自信になった。
以後何人かの方(男女問わず面白そうな人)とは文通状態になっていた事もあった。
面白い文章の書けた時も書けない時もあった。
意見が対立し(?)、そのまま途切れてしまった人もいた。
私は結構ほれっぽいので、女性の中には、好きになってしまった相手もいた。
(こっちから一方的にね)
宣伝はエロ本とか、マイナーな漫画誌(「ガロ」とか)、「GON!」の3行広告なんかで行った。
というか、内容や作りがいい加減なので、それぐらいしか載せてもらえなかった。
でも面白かった。
私の本を読もうとする人は、とにかくやたらと個性的(色々な意味で)な人たちだった。
これをきっかけに色々な面白い事を知ったし、今でもその経験が生かされているような気がする。
で、今ではネットでやっている訳だけれど、どっちがいいかと言われると困る。
確かに楽にはなった。
今では宣伝・広告媒体が少ないというのもあるけど、発表=宣伝なのだからこれ以上楽なものは無い。
しかし、反響についてあまり知ることができないというのはちょっと残念である。
個人誌(同人誌)というのは購入する場合、通販なら必ずと言って良いほど「一筆」添えられる。
しかし、このHPに対する意見などは実はあまり私の所に届いていないのである。
(全く無くはないが、カウンタ数から考えればわずかである)
よく判らない広告は山ほど来る、何を書いたのか判らないメールが来ることもある。
しかし・・
実はネットというのは、同好の士を探すにはあまり向いていないのではないだろうか?
全くそう言えない事はないが、すでに面白い人は自分のHPを持っている。
結局HPを持っている者同士だけの交流となってしまう。
それでいいのだろうか?

その76(2003.12.7)

おさげネタなどそうそうあるわけでは無い。
いや、中学、高校の頃の思い出なら色々あるのだが、今の所あまり思い出したくない。
でもやっぱり「リアルタイム」でこそ面白いのかもしれないなと思うことは結構ある。
中にはついこの間のように思う事もあるけれど、20年近くたっていたりするんだな。
と言うことで、以前書こうと思っていて書かなかったくだらない事を。
「ボラギノール」のCMだ。
これにもおさげ(編んでいない)の子が出ている。
なんか「買っちゃったよ」とか言っている。
昔なら「お父さんの」という落ちがついたりしたのだが、そういうものではない。
こういう事によって「恥ずかしい事」であるというイメージを消そうとしているのかも知れない。
意外に斬新な試みかもしれない。
またなんか地味な話題ではあるのだが、モー娘、とかは知らないので仕方ない。
第一数が多くて憶えるのが面倒である。
そういや「おにゃんこクラブ」(この単語も忘れていたな)にもはまらなかったな。
この間福井の古本屋で1985、6年頃の「モデルグラフィックス」誌を面白そうだからと何冊か購入したら、なんかこの時代を思い出してしまった。
「おにゃんこ」の一人(デビュー前らしい)が当時の人気アニメ作品のコスプレをやっていたりする、あと旧日本軍機狂いのコーナーがあったりする、本当は宮崎駿氏の連載漫画が目当てだったんだけどあまり載っていなかったりする。
おまけで大人気の海洋堂は、まだまだ高価な商品をマニア相手に売っている頃だったりする。
あ、鬼太郎第三期もこの頃だったんだね、懐かしいなあ。
女子中高生はというとこの時代はまだセーラー服が多かったのだが、ショートカットの時代だなあ。
(他でも言っているがこの頃すでに三つ編みは少なかった)
いかん、あの頃の思い出に触れてしまいそうなのでこの辺で終了。

その75(2003.11.30)

今日の「サザエさん」に三つ編みで根本にリボンをつけた女学生が出ていた。
波平さんが座っているベンチ(というか長椅子)に一緒に座っていて、波平さんが立ち上がるとその長椅子は女学生の方に倒れてしまうので、立ち上がれない・・で女学生が知り合いのおばさんにあいさつする時に一緒に立ち上がり、女学生が座り直すと一緒に座る波平さん、おばさんはきょとんとしている。
なんかこういうコントが昔あったような気もする。
三つ編みというと、最近メールで情報があったのだが、村上隆という人のキャラクターに細三つ編みの女の子がいるそうだ。
私自身ポップアートというのは、缶詰並べた所を描いたり、新車のキャデラックが地面に刺さっていたり、その訳わかんない感が嫌いでなかったりする。
村上隆という人の作品は、オリジナルで漫画やアニメのキャラクターを作りましたという感じである。
訳わかんないのは同じだが、どうも私は興味が湧かない。
「好き」「嫌い」以前の問題である。
以前「ガロ」という漫画雑誌を読んでいたのだが、これの終わりの頃に古屋兎丸という人の作品が出ていて、絵はめちゃくちゃ上手いし、展開もメタだったりするのだが、どうも興味が湧かなかった事がある。
終わりの頃の「ガロ」で好きだったのは逆柱いみりだった。
世間では同じくくりに入っていても、興味を引くものと引かないものがあるようだ。

その74(2003.11.30)

どうやら「ドラえもん」のしずかちゃんのおさげが次の映画では巨大になるらしい。
巨大化・・ってどういう事だろう?
よく判らないが、まさか巨大化したおさげとの戦いになるとかいう事ではないだろう。
そういえばあの番組このところ全く見ていない。
まあどうでも良いことだ。
この間鹿児島に行ったが、結構お下げ率高かったような気がした、
しかしぎっちり編んでいるような子は見かけなかったのが残念だ。

その73(2003.10.19)

ここも更新したりしなかったりなのだが・・・
この間家を出るのを5分早くしたら、肩までの三つ編みおさげの高校生に会った。
今まで見かけたこと無い子かったのだが、こういうのを「早起きは三文の得」というのだろうか?
このところすっかり秋めいているのだが、そういう朝の空気の中で見るのもいいものだ。
そうか?
まあ、そういうのは日常なのでいいか。
以前秋田県仙北町に「おさげっこ」という酒があるという話を聞いていて、勝手にリンクしていたのだが、消えてしまった。
残念。
一度行ってみたいと思っている。

その72(2003.9.27)

下の文章にある「東京スタジオ」だが、その後「東スタ商事」「リキ映像」と名を変えたらしい。
めちゃくちゃ面白いと言うわけではないが、ぶっとんだラインナップを展開しているので、名前がその筋のマニアに知られている。
例えば栃木県(?)の山奥の温泉で巨乳のお姉さんが、小さい男の子とバドミントンみたいなおもちゃで遊んでいる作品とか(すごい揺れてるぞ)、女の子を雪の中で歩かせたりする作品とか、あとは見ていないので他の人から聞いた話なのだが「伊豆大島われめ噴火」という不謹慎なタイトルの作品とか、「ロリータ愛の出産」なんていうのもあるらしい。
もちろん今では手に入らない。別に見たいとも思わないんだけど。
こういう「色物」が出る時というのは、その「文化」の最後の頃と思われがちだけれど、実際には全盛期過ぎた頃に出ると言った方がいいだろう。最後の頃は「焼き直し」ばかりになるのだから。
あとは「先祖帰り」や「非合法」かな? 身体検査ものや乾布摩擦ものも出たもんなあ。盗撮なのか何なのか?
実際「例の法律」ができる前から「そろそろこの『文化』やばいかなあ」と思っていたのだが、実際アンダーグラウンドの文化になって、今その「世界」を知ることはできない。
ひょっとしたら私の知らないところで、新たな傑作(あるいは怪作)が創られているのかも知れないのだが。
最近の「GON!」とかを見ると、B級雑誌文化そのものがそろそろ破綻しそうな気配がする。
とある人が以前言っていたが「カストリ誌への先祖帰り」が起こっている。
画面キャプチャーにいつまでもテレビが黙っているとは思えないのだが、黙っている所を見るとどうも癒着があるんじゃないかという気がする。
裏物企画にしても何度も見直したいと思うのは稀だから、どれだけ実際に買っている人がいるのやら・・・
最近テレビでも「焼き直し」企画がいくつも出てきている。
「藤岡弘探検隊シリーズ」は「川口浩探検隊シリーズ」の焼き直し企画だけど、面白いので大好きだ。
というか、これ以外私にとって「テレビを見るために家に帰る」番組は存在しない(きっぱり)。
思うに「焼き直し」というより「うまくできたパロディ」になっているのかもしれない。
これと双璧をなした「矢追純一UFOシリーズ」は結局消えてしまった。
理由は簡単で、グレイしかネタをやらなくなった事だろう。
グレイ以外の宇宙人にリアリティが無くなったという話もあるけれど、そこをなんとかするのがエンターテイナーだろう。
結構色々な宇宙人が来ている(?)ようなので、バリエーションには事欠かないのに。
グレイタイプに「アブダクション」「キャトルミューティレーション」「ミステリーサークル」「MJ12」「エリア51」の組み合わせばかりだと、さすがに飽きてしまう。
だから最後の頃の「ナチスの秘密兵器」は面白かったので私も見た。
この面白い企画にも「グレイ」を出したのは余計だったと思うが。
探検なら「謎の部族」「謎の類人猿」「謎の水棲は虫類」「謎のヘビ」「怪鳥」「怪魚」などに「謎の洞窟」「幻の湖」「前人未踏のジャングル」等を組み合わせていけば、結構色々できるし、「お約束」を楽しむ人も増えるだろう。
なんかドリフ(の「全員集合」)みたいだな。あれもまだ続けられただろう。
テレビがいまだに持っているのはおそらく、「見ていなくてもテレビは点けている」という習慣を持つ人のためだろう。
この「習慣」に取って代わるものが現れた時、テレビ文化も危ういものになるだろう。

その71(2003.9.25)

制作者の意向とは全く関係ない所で「パロディー」になってしまうケースもある。
以前「東京スタジオ」から出ていたビデオで、女の子が緑色のアフロのカツラをかぶって出てくるのがあった。
これでは「高木ブーの雷さま」である。
しかし多分制作者はそうは考えていなかっただろう。
他に某アニメ作品の女の子の顔が「ムーミン」に似ている為に、そこから静かなブームになったというのもあるらしい。
本当に静かなブームですぐに消えたらしいけど。
うちはそういうのには巻き込まれたくないものだ。

その70(2003.9.25)

戦わなくていい。
これは以前どこかで書いたかもしれないんだけど、もし過去の文章にあったら「アホやなあ」という事で。
以前「例の法律」ができて、規制が入ったときに、少女を取り上げている本は一斉に姿を消した。
別に裸がダメになっただけだからいいじゃん、とか思ったのだが、裸が無いと売れないらしい。
まあ判るんだけどさ・・・
「裸がダメでもなんとかする」っていうのが営業努力じゃないのか?
裸が無くても買うのがコアな連中じゃないのか?
現にそういう本出てきている。
なんか子役とか載っている本で、写真自体はちょっと食指が動かないんだけどさ。
で、今度はなんだかアニメとか漫画とかに適用とかどうとか言っているらしいけれど、別にどうでもいいと思う。
メジャーな作品では自主規制の部分が結構あるらしいし。
良い傾向だよ、ストーリーや作画でしっかり見せていかないと生き残れないんだから。
裸なんていう安易なアイディア出して人気取ろうとする、アホな演出家や漫画家は絶滅しちまえばいい。
表現の自由がどうとかっていうことらしいけれど、なんか今の世の中って「何でもあり」すぎて良い物が出てこない気がする。
面白いエロが出てくるのは規制の下であって、創意工夫と言う物を日本人は忘れかけているんじゃないか?
だから「プロジェクトX」みたいなのが流行るんじゃいないのか?
「何でもあり」をやりたきゃ、内輪でこっそりやりゃいいんだ。
「同人誌」ってのはそういうものだろ。部外者にお見せするようなものとは違うんだよ。
私ももしこのHPが規制を受ける事になったらサーバレンタル元の意向に従うつもりである。
逆に言えば、それ以外の人間の命令には一切従わないつもりである。

その69(2003.9.22)

インターネットは無限の可能性を秘めていると思う。
インターネットからは誰に頼まれもしないのに「オリジナル」のキャラクターがすでにいくつか出現している。
特に驚いたのは某巨大掲示板の雑談から産まれた「ビスケたん」である。
本来漫画やアニメに関して語る場所で「ケンタッキー・フライド・チキン」のビスケットについて語られ出した事がきっかけのようである。
多くの場合、この巨大掲示板では無視されるか「カテ違い」とののしられるかなのだが、そういう事にならず、キャラクターとして完成してしまった。
なんか頭にビスケットを載せたような女の子として。
こうやって生み出されたキャラクターは、やはり作った人たちには「自分たちの作ったキャラクター」という思いが強いのではないだろうか。
今まで漫画の同人誌の多くが、他人の作った、いわば著作権上問題有るキャラクターによって作られていたのだが、そうではない方法で他の人を引きつける事ができる可能性を示したのが、「ビスケたん」と言えるのではないだろうか。
実際に「ビスケたん」同人誌だけによるイベントも行われているようだ。
それもテキストとして完成しているキャラクターではないので、受け取った人間は設定から何から自由に解釈できる。
著作権上全く問題ないとは言えないのだが、このような動きはこれからも起きていくだろう。

その68(2003.9.18)

昔はよく見ていたけれど、最近見ていないモノに特撮物の番組がある。
中には見られる時間帯に放送されるのもあるけれど、ヒーロー物とかは「お母さん向け」になって久しい(?)為にほぼノーチェックである。
しかしそんな中にとんでもない掘り出し物が存在する場合もある。
去年の「仮面ライダー龍騎」などはその例である。
ここまで読んだ特撮好きの方で、なおかつここをご覧になられている方ならおわかりの通り、昨年9月に放送された31,32話に「三つ編みセーラー服」の少女が出演しているのである。
くやしい・・(爆)。
そんな訳で子供向けムックをあさったりしたというのは、掲示板にも書いたかもしれない。
30過ぎた男が「てれびくん」の別冊を漁る光景は哀しいものがある。
いつまでこのような生活が続くのだろう。
やめりゃいいのに。

その67(2003.9.13)

「オリジナル」という言葉がある。
「その人独自の作品」とか「本来の基本となる作品」とかいう言われ方をしているようだが、私自身は本当の意味での「オリジナル」には興味がない。
かと言って他人の作品のあからさまなパロディもそんなに好きではないんだけど。
好きなのは、「現実」あるいは「妄想」をパロディ化したものと言ったら良いのだろうか?
食玩でも「タイムスリップグリコ」とか好きだったし(今は覚めた)、、その前はチョコエッグだった。
「宇宙人」も「どこかに目撃した(と言い張る)人がいる」方が好きで、映画や特撮番組によるオリジナルにはあまり興味がない。
その「オリジナル」が「実在した」とする捏造資料も好きなんだけど。
うちのHPに載せているイラストも「こんな子を見た」と「こんな子を妄想した」がほとんどになっている。
あるいは他人の作品のキャラクターを描く場合も「こんな子いたよなあ」というのは載せたりするんだけど。
どうも最近のテレビアニメの多くが面白く思えないのは、この妄想の範囲を逸脱しているからかもしれない。
「こんな目のでかいヤツいねえよ」ってのは昔からあったけど、「こんな金髪のヤツいねえよ」は悪夢のような現実(?)となってしまった。
なんでもアリの世の中になったしまっては面白くない。
しかし自分はいつまで昭和時代にとどまっているんだろう?

その66(2003.9.9)

今から20年前ぐらい。
「名目上写真雑誌」とでも言える雑誌がかなりあった。
いわゆるカメラ小僧の為の雑誌とでも言えば良いのだろうか。
当時まだおたくという言葉は世に出ていなかったが、カメラ雑誌といいながらエロ写真やバカ写真(多くの場合は投稿)を毎回載せてその手のものが好きな若者を熱狂(?)させていた。
まあ今の「GON!」や「BUBKA」程のモノではないんだけど、ああいうののちょっとソフトな感じと言えば判るだろうか?
軍艦島や超能力者を時として載せている所もあったが、やくざとか裏風俗とかは無かったなあ。
ある本はプロの人たちによる載せていいかどうかギリギリの写真を載せ続け、発禁。
ある本はアイドル系の盗撮に走りアイドル誌(?)へ、ある本はエロな個人の為の投稿誌となり、今日タイトルを見つけて見たある本はなんと漫画雑誌になっていた。
漫画雑誌ってあんた、一番競争が激しい所じゃないですか・・でもタイトルはそのまま。
そういったこともふまえて・・・?
私は漫画は描かない事に決めた。
まあ、技術的な問題もあるんだけどね。
2コマ漫画くらいまでならいいけど、ページ物は無理。
以前描いたらそこそこの評判だったけど、労力が続かない。
1コマにイラスト一枚分ぐらいの集中力と労力で描いても、漫画だと流し読みされるし・・
しかも下手だからなあ・・


その65(2003.9.2)

いわゆる「コミケ文化」について、実は危惧する事がある。
その最も象徴的なもの。すなわち「ジャンル制」である。
「コミケ文化」は「ジャンル分け」が基本となっている。
しかも「アニメ」というジャンルが作品に依ってさらに分けられ、取り上げ方によってそこからさらに分けられる。
見る方はその「ジャンル」から好きなのを選べば良いわけだが、実は作っている側のジャンル同士の交流とかはあまりないような気がする。
某巨大掲示板もジャンル分けで成り立っている。
(もっともこちらはクロスオーバーな交流が盛んなようだが)
「ジャンル」に属さない(というか明確な分類が難しい)うちのような所はどうなるのか?
もともと「コミケ」はマンガとかアニメとか小説とかすでに作品が存在しているもののファンのお祭りである。
しかし私のやろうとしている事は、こういう完成されてしまった「作品」について語る事ではない。
かと言ってどういう事をやろうという訳でもないんだけど。
結局は「その他」になってしまう。まあいいんだけど、なんか違う気がする。
それ以外の同人誌の世界でも「短歌」「俳句」「詩」などといった、ジャンル別の分類が行われている。
そう、まずは形態、すなわち「箱」、ハードウェアから決められてしまっているわけだ。
「おさげ」「女学生」を表現したいけど、どう表現するのか決められない私には入り込めない世界だし、本当にそれでいいのかという懸念もある。
手塚治虫は映画の表現も学んだではないか、宮崎駿はマンガだって描くではないか。
今の「ジャンル分け」は間違っていると思う。どう分ければいいかは思いつかないが。
という事で、その手のイベントに参加する事はなかった。
人手がないというのもあるが。
結局自分でHPを作るのが一番だと思ったが、やはりこの世界にも「ジャンル分け」は存在している。
うちは「女学生」を取り上げるがブルセラ系ではなく、「おさげ」を取り上げるがヘアケアとかではない。
この「ジャンル分け」世界でどう生き延びていくのかが問題である。

その64(2003.9.2)

夏休みが終わったせいか何なのか、結構長めの三つ編みのおさげの子を見かける機会が何度かあった。
それもいわゆる「太編み」なのが良かった。
一人はまだ夏休み中、チェックの(グレー系)ワンピースにハイヒールを履いて列車を待っていた。
前髪がちらっと見えた。
高校生ではないかもしれない。
私がもう少し若ければ、声をかけていたかもしれない。
(あぶねえなあ)
あとは高校生二人、夏休み明けで三つ編みにしてみたのか、それとも私が今まで見かけなかったのかは不明。
一人は「まさかこんな高校に・・」という感じなのでとても意外だった。細編みなら判るが。
もう一人はかなり前に見かけた子なのかもしれない。
同じ電車に乗り合わせたという子や眼鏡の子とは違う。それより前だ。
結構長めの髪で、駅前からバス通学のようだった。
さすがに何人ぐらいいるかのチェックとかはしないが(そんな暇はないし、社会的にまずいだろう)、結構いるもんだなあと思う。
結構ったって2,3人ではないか。
しかもいつも三つ編みおさげとは限らない。
まあいいんだけど。

その63(2003.8.22)

「うぶモード」というエロ本がある。
今日ちょっと見つけてパラパラめくったのだが、なんと!
あの「秋山舞」さんが出て居るではないか!
(もちろんヌードは無し、そしてもちろん当時物の写真)
秋山舞さんといえば、モデルおとめが幾人も居る中で、抜群の理知的雰囲気を持っていて、クラスにいてもおかしくないよなあという感じで、私のハートを鷲掴みにした人である。
私と年齢的にはそんなに変わらない筈(少し下)である。
ということは、18歳未満なのにいけない本を買っていた事になるが、まあ、いいではないか。過ぎた事だ(爆)。
以前みうらじゅん氏が関根恵子の写真を「俺の女だ」と言っていて笑ったが、まさに舞さん(なぜか「さん」付け)は「俺の女」である。
本当にお世話になったものだ(壊)。
そういえば某本に「舞さんに恋してました」という変な投稿が載った事があるが、あれは私である。
文章を書いているサイダしぇんせいも忘れがたい。
私のコピー誌「おさげ髪」を「こういう底辺とも言える本がある事で同人誌の裾野は広がっていくのだ」とか評価をして下さっていた。
今考えれば「週刊のび太」並の本ではあったが、あれがなければこのHPも存在しないだろう。
ああ、舞さん、僕はあなたの他にも何人もの女性を好きになりました、出会いと別れを繰り返し(以下略)どうか一度お会いして酒でも飲んで話をしてくださいませんか(爆)。
興味を持った人は立ち読みでもして、管理人はこういう女が好みなのか(正確にはだったのかだけど)と思って笑って屋って下さい。
あ、おさげのカットは載っていませんよ。
この子は後で髪伸ばしてましたが、やっぱりショートの方が似合うなあ。

その62(2003.8.17)

異界というと便利な言葉だが、自分たちの知っている世界ではない世界を指している場合が多い。
何も知らない子供にとっては近所をちょっと離れると「異界」と言えるだろう。
最近の人は異界をどのように考えているのだろうと、何日か前に思った。
「千と千尋の神隠し」では長いトンネルを通って行った向こうの世界が、「異界」だった。
異界に行く方法には昔から色々あって、滝の裏側とか、不思議な霧の中を通ったらとか、科学者の発明した機械を使ってとか、それらを複合したような「ワームホールを通って」とか、あるいは「ある朝起きたら」とか千差万別だ。
しかし、最近の人の中に「フェンス一つ向こうの異界」を意識している人が居ることが判った。
コンビニの裏にある道をたどっていくと、フェンスに囲まれた土地に車一台通れる位の出入り口があって、その向こうに廃屋のような建物がいくつもある。集会所のような建物とかグラウンドのような広い土地とか、古い洋館があるのだけれど、人は見かけない。しかしその雰囲気はする。
よく見ると灯りの小さく点っている建物もある。
今の所、突然出てきた婆に追い返されたとか、その程度の話だが、そのうち隠れ里伝説とか隠れ切支丹村のような存在になっていくだろう。
あるいは心霊スポット扱いで、他に人がいないのに足音がした。鈴の音がした。顔のない日本人形が置いてあった。マネキンが置いてあった。誰もいないのに子供の靴がいくつもあった。男の子が中からこっちを見ていた。鉈を持った男が出た。アンテナが立っていてモールス信号の鳴っている小屋があった。外人墓地があった。などという話が追加されている。
新興宗教の隆盛と廃墟ブームが入り交じったような話だが、今の若い人が何をもって「リアル」あるいは「恐怖」としているかも判り、とても興味深い。

その61(2003.8.17)

キャラクターの話が出た。
確かにキャラクターを作ればその後は色々楽に進めるだろう。
おさげのキャラクターというと、どういう感じになるだろうか。
日本での「おさげ」の少女のイメージというと、おとなしかったり、真面目だったり、勉強ができるとか委員長だったり、異性からはあまり意識されていなかったり、でも実は隠れて好きだったりする男子がいたり・・というのは以前書いたかも知れない。
それ以外の所は全く自由なので、金持ちだろうが貧乏だろうが、あるいはオカルトに走っていようが(笑)、色々なキャラクターが許されると思う。
さあ、どうしよう?

その60(2003.8.17)

イラストの新規アップが滞っている。
というか描いていない。
特にどうしようとかも考えていないから始末が悪い。
このところ、以前からロムっていた色々なHPが、
これまた色々な理由で閉鎖(一次閉鎖を含む)している。
いや、ロムっていたところばかりでなく、
ちゃんと書き込みしていた所も含めてなのだが・・・
何か自分の物を(利益も無いのに)アップロードするというのは大変な事なのだ。
無料のサーバを使うと言ってもやはり通信費とかかかるものだし。
ここも冗談みたいな理由で立ち上げた訳だし、ネタがないとアップはしにくい。
ここも危ないのか・・・しかし、しばらくは続けるつもりである。
不調というものは長い人生であるものだ(爆)。
しかし好調の時もくだらないものばっかりアップしている気も少しする。
以前個人誌を作っていた時は、なんか、自分と似た人がいたらなあ・・・
おさげ好きってどれくらいいるのかなあ・・・とか考えていたものだったが、
結局、私の絵を(少し離れた所で)面白がって見ている人しかいなかった。
「この人こんな絵描いてるよ、ふーん」みたいな。
それを私の見えない所で友達と話し合っている・・という雰囲気だった。
いや、友達になってくれとか言うつもりはない。
しかし金儲けの為にやっているのでもないのに、
有る程度のコミニュケーションが発生しないのはつらかった。
(確かに2,3人感想文をくれたけど)
結局反応のしようもないというのが本音だったのだろう。
私も他人の作品を見てそう思う事がある。
無理矢理書いた文章というのは、相手も見抜いてしまうだろう。

関係ない事だが、私はドリフ(全員集合やってる頃の)が好きだ。
ドリフのネタというのは、特にぶっとんでいる訳ではない。
ともすればワンパターンなどと言われてしまうものである。
しかし、じゃ、ドリフのやり方真似してギャグを作れと言われて、
作れる人はそうはいない。
長さんはある放送作家にこんな事を言っていたらしい。
「笑えるネタなんてそうはないよ、組み合わせだよ、組み合わせ」
それぞれのキャラクターの強すぎるドリフだから、
そういう事ができるのかもしれない。

その59(2003.7.30)

うちの事を「髪に関する面白サイト」と言ってくれる人がいたけれど、
じつはそんなには面白い事やっていないと思っている。
ここへきてふと思い出した言葉がある。
「麗子像」だ。皆さん聞いたことがあるだろうし、ビジュアルとして浮かんだだろう。
岸田劉生の名作(というよりライフワーク)であり、教科書にも載っている。
たまに「美少女のほほえみ」などと紹介されているが、
そういうものではない。妖怪画に近いものがある(爆)。
タイトルが「座敷わらし」でも通じる(壊)。
クラスに耳が隠れる長めのおかっぱの子がいたら、
ニックネームは即「麗子」だった(危)。
この絵はすごい。何が凄いって、本物の麗子さんは結構美人なのだ。
お父さんである劉生には「こういう風に見えました」という作品なのだ。
ここまでグロテスクに描いて、やっぱり怒れなかったんだろうか?
うちがやろうとしている事と共通点があると感じている。

で、「麗子像」で検索かけたらおかっぱ好きの面白サイトが見つかるかな・・
って思ったんだけどそういう人はいなくて、昔付けられたあだ名とか、
いわゆる日記の項目の一つというのが多かった。
しかし「麗子像」で800件ちょっとしかかからないというのは、
まだまだこれから面白い人が出てくる証拠だと思う。
気長に待とう。

その58(2003.7.17)

口が開けばCMかエロ本の事しか言っていない気もしないではないが、
今回はエロ本の話だ。
以前AVでイメージだからと女優さんにおさげでセーラー服着せたという
話を書いたことがあった。
現状のエロ本ではどうだろうか?
エロ本に出てくる「女子校生」(単語として正しくないが、良く使われる)は、
対象となっている人間の同級生をイメージしている。
だからというべきか、茶髪のヤンキー風が増えているのである。
それが現代における「リアル」なのであろう。
以前もこの事を嘆いた気がするが、ようするに「大多数の希望」なのだから、
全く仕方がない訳である。
雑誌というものは大事なのは部数である。
そして売り上げに繋がる事が至上命令である。
インターネットのホームページなんかとは考え方が違うのだ。
少数派のフェチ雑誌なんか出せないのであろう。
本当に出せないのかな? 三和さんあたり・・・?
例の法律は仕方ないと思うのだが、
どうもアイドルの写真集では物足りない(?)のである。

さてそれ以外の話もしておこう。
「貧乏パーマ」という言葉が検索で出てきた。
美容院に行くお金がなくて、三つ編みにすることでウェーブを付けた
という話だ。
涙ぐましい・・・しかしいつから日本はこういう奥ゆかしい人に住み難い国に
なってしまったんだろう。
もっとも私は「感動」なんていう言葉は嫌いだ。
お互いを特別扱いしないで生きられる世界、それが理想だ。
ちょっと関連するが、先日芸能人が「ごちそう」に「ハンバーグ」と書いた人を
思いっきり笑っていた。
芸能人なんか、昔は河原者ではないか?
世間様から施しを受けて生きているようなものではないか。
いつから汗水たらして働く一般市民より偉くなったんだ?
お前らが取りすぎるせいで、番組の制作に金がかけられず、
つまらない内容の番組ばっかりになっているんじゃないのか?
いや、制作側の人間の発想の貧困が原因なのかもしれないが・・・
いずれにしろ、アリよりキリギリスの儲かる世界に明日はない。

その57(2003.7.17)

こっちには書かなかったのだが某ファンタのCM(将軍先生編)
に出ていたのは「川本留美」という子らしい。
情報ありがとう。
CMというと、結構見ている・・・というか本編よりCM好きなのかも?
ファンタはバカらしいシリーズが随分続いていてステキである。
以前男の子が女の子を森の中にさそい、木の皮をめくるとファンタびっしり・・
というのがあって、これが私向きの(?)ナンセンスギャグで笑えた。
ギャグもの以外では、以前のパナホーム(セラ?)のCMにも三つ編みおさげの子が出ていた。
ここの試行錯誤時、トップにその子の画像を壁紙にして出した日があった。
髪型は忘れたけど男の子と女の子が鉄棒に下がっていて、脇の下を気にする
というCMも好きだったな。
アミノ式のCMは女の子バージョンで無くなって残念。
少し前から富士ハウスのCMに細編みの子が出ているし、
明光義塾のCMにも細編みの子が出ている。
細編み一般化の危惧(?)は掲示板でも言ったが、
果たしてその傾向は加速されるのだろうか?

その56(2003.7.12)

当然の事なので理解しているし、
そうであった方が良いとも思うのだが、
「今日三つ編みだった子はいつも三つ編みにしているとは限らない」
という事は往々にして言えると思う。
少し悲しいという思いもあるのだが、こればっかりは仕方ない。
ちょっと前に書いた三つ編みのおさげだった子が、
今日は編んではいなかったのだ。
時間がなかったからだろうか?
またいつか見かけた時は三つ編みだったりするのだろうか?
そういえばずっと前にも朝よく見かける三つ編みの子がいたが、
しばらくして見かけなくなってしまった。
こちらは私の出勤時間が変わった関係もあるのかもしれない。
他に楽しみがないのかと言われそうだが、
あとは旅行(兼記者ごっこ)ぐらいだな。
女の子がみんな三つ編みで出てるお祭りがあったらウハウハなので、
行ってみたいが、そんなものがあるわけなし。

その55(2003.7.6)

おさげというか、後ろで髪を二つに分けるという発想は、
どのあたりから始まったのだろうか?
自然に二つに分かれるというのもあるだろうけど。
編んだり結んだりするのは作業の邪魔だからだろう。
二つに分けると言うことは、背中に何かを背負っていて、
それに髪がかからないようにするためかも知れない。
いわゆる背負子のようなものか? 子供なのか?
どちらにしても最初におさげにしたのは少女ではなかっただろう。

その54(2003.6.26)

ネタが無いので最近更新をしていない。
去年も夏はあまり更新をしなかった。
たまに最近朝の電車で三つ編みおさげ(細編みではない)の子と
乗り合わせたりする。だから電車通勤は止められない(爆)。
そんなに長くない、編んで肩ぐらいかな。
でも同じ車両に乗り込んだり見つめたりという事はない。
自分が高校生の時はどうだったか・・・そんなことしなかっただろうな。
いや、したいと思っても「できなかった」のだから今とは違うと思う。
結局やってる事は同じか・・・何か悲しいなあ。
あとぱっと見てその印象を後で絵にする位のことか。
でもなんか、「印象」と「絵」は違うんだよなあ・・・
まあ、「腕」のせいなんだろうけど。

その53(2003.4.10)

前に書いた盾真由子サンだが堀越に入学したとのこと。
おめでとう・・というのはちょっと単純すぎるかな。
某スポーツ紙に載った写真では小さい三つ編みのおさげでした。
ここを意識している・・・訳がない。
こちらのほうでも新入生が見られるが、三つ編みは少ないものの、
単なるおさげは結構いるので安心か?

その52(2003.3.19)

こういうサイトやってると自分自身が「理想主義」と勘違いされる部分もある。
と思っていたけどそういう意見は全くないな・・・(笑)
「理想主義」な事は有る意味合っているし、間違ってもいる。
以前電車の中で見かけた爺さんが、昔の雑誌の切り抜きを大事に持っていた。
少年雑誌だったか男の子と女の子が庭の西洋風のテーブルで、
二人してジュース飲みながら本読んで笑っている絵だった。
おそらく戦前のものだろう。そしてそれが当時の少年の「理想」の一つだったのだろう。
自分の場合でも女の子と話ができなくて・・とかいうのが(内面的問題として)あって、
それを克服するのが「理想」だと考えていた時期があった。
まあ、随分時間はかかったなと思っている(笑)。
このように「理想」を持つという事は大事である。

女の子自体を理想化するっていうのは有る意味仕方ないと思う。
だって自分は理想に向かってしか進めない人間だから。
実在の女の子の場合、その人の「好きな部分」を「嫌いな部分」が上回っても、
やっぱり全体として嫌いにはなれないっていうのはある。
好きな所しか見なくなるっていうのはある。
その事と「誰でもいい」とは違う。
また「第一印象」で全部決まる訳でもない。
少し経って再開したときの方がいい印象の場合もある。
話しやすいタイプと理想のタイプは結構違っていたりする。
誰でも話せるという人はとても羨ましかったりする。
話が長くなりそうなのでこの辺でやめる。
まあ似た考えの人は多いだろうし。
ここ数年のエロ本のモデルはどうも「勝手な理想化」ができない。
なんかみんな同じに見える。だからつまらないのか。

「理想主義」ではない部分、「理想」をあきらめている部分というのもある。
なんといってももう学生では無いわけだし(爆)。
時代が変わったなんて言い訳はしたくないが、
今の時代に求められる「理想」は確実に変わっている。
私の描いている女の子が「理想」とするなら、
それは埃に埋もれた旧時代のものだろう。
ただおさげの女の子に夢中になることを忘れても、
夢中になっていたこと自体を抹殺したくはない。

その51(2003.3.15)

♪燃焼系、燃焼系、ア〜ミノ〜式・・・
というCMが最近流れているが、あれはうち狙いのような気がしてならない。
なんかあの駅にも行ったことがある気がする。
実際一本であるから「おさげ」ではない気もするので関係ないのかも。
一本ものでも結んでいる所が下の方だと結構好きだ。
ポニーテール好きの人は上の方でないといかんのだろうが。
「二階堂」のCMは新しいバージョンに変わってしまった。
別に気にしてチェックしている訳ではない。
テレビというとなかなか見る時間がなく、
どうしてもCM中心になってしまう。


過去文集(その1〜その50)






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